エドワードグリーン
#Edward Green
企業としての危機を乗り越え、世界的なブランドへ
1890年、靴の聖地イギリスのノーサンプトンにて創業。創業当時は3人の息子と共に高品質な高級紳士靴の生産に特化した事が、シューズメーカー「エドワード・グリーン」の歴史の始まりである。
3人の息子と共に高品質にこだわり1週間あたり約250足に絞ってコントロールを行ってたという。1930年代の第2次世界大戦気には、軍需分野でブランドの力を伸ばし、英国空軍のブーツの最大規模の市場を誇っていた。アーネスト・ヘミングウェイも愛用していた事から「伝説の靴」とまで謳われるようになっていく。
そんなエドワード&グリーンだったが、1970年代、経営難の憂き目に遭い、一時は廃業の危機に陥ることになる。1983年、この窮地を救ったのがイタリアでデザイナーをしていたジョン・フルスティック氏である。ジョンは、グリーンが抱えた借金とそこにプラス1ポンドを上乗せした金額でブランドを買収した。
この買収は1830年代のヨーロッパで最も有名な買収の一つである。
社長に就任したフルスティック氏は、英国的だったエドワード・グリーンの靴を少しずつ現代的にモディファイ(修正)していくなど、少しずつ洗練さを加えることで名声を得る。
その後、技術力の高さから、企業のOEMとして靴を提供するよにまでなり業績はV字回復となる。1995年頃には、エルメス傘下にいたジョンロブのOEMを請け負うまでに。
技術力の高さからエルメスより提携の話が生まれ、兼ねてよりフランスへの進出を考えていたエドワード・グリーン社はその話を受け入れた。しかし、提携したものの、話は途中で頓挫し、気づけばエドワードグリーンの持ち株はエルメスの手に渡ってしまう事態に。
それだけでなく、エドワードグリーンの代名詞とも言える #202の木型を押さえられてしまい生産不可能となってしまう。ちなみに旧202ラストと呼ばれる靴は希少価値も高く、愛好家に愛される靴のひとつ。
こんな話があるのか?と、思うが、実際に喉から手が出るほど、エルメス社にとって、エドワードグリーンの木型は素晴らしいものだったと考えられる。
その後、木型(ラスト)やブランドを奪われても、エドワード・グリーンの哲学とされる「 excellence without compromise(妥協のない素晴らしさ)」を心情とする靴職人たちは再度集結し、新しい靴工房を立ち上げ、エドワードグリーンの再建をはじめます。
1998年に発表された808ラスト。セミスクエアトウは現代的な顔付きで、過去になかったスリムなフォルムが話題となった。近年は、バーニーズニューヨークのために特注のシューズを生産、ラルフローレン(Ralph Lauren)と靴を発表するなど、コラボレーション活動にも積極的に取り組んでいる。
フルスティック氏の亡き後、ブランドを引き継いだのは、ヒラリー・フリーマン女史である。「先代の靴づくりの哲学はしっかりと靴職人たちが引き継いでいる」と自信を持って語る彼女は、先代が亡くなったあとも、職人とともに進化し続けて今に至る。その歴史は120年を超え、イギリスを代表する靴ブランドとなっている。