サンローラン
#Saint Laurent
モード界の帝王
1961年、イブ・サンローランとその恋人であったピエール・ベルジェ、そしてアメリカ人の実業家マック・ロビンソンによって設立。
サンローランとは言えば、ブランドが誕生した時からモードを貫き通しており、ずっと変わらない姿勢が人気である。どんな時代も独自なモードの世界感が感じられるのが、サンローラン。そのブランドコンセプトからファッション業界では、「モードの帝王」と呼ばれる。
デザイナーとしてキャリアをスタートした、イヴ・サンローラン氏はまずはクリスチャンディオールのデザイナーとして活躍するが、着任後すぐに、クリスチャンディオール氏が死去。その後イヴ・サンローラン氏が正式にデザイナーに着任した。
世界的デザイナーとして活躍していたイヴ・サンローラン氏は、1960年にアルジェリア独立戦争を戦っていたフランスに徴兵され、ディオールを離れることになる。
実はこの徴兵の裏にはディオールのオーナーであったマルセル・ブサックがイブのことが嫌いだったことを理由に動いており、ディオールがもう一人気にかけていたマルク・ボアンを主任デザイナーにするためにイブを戦争に行かせ、その間にイブを解雇してマルク・ボアンを主任デザイナーに就任させたのだ。
軍属となったのは20日間だが、イブは軍隊内のいじめなどもあり、心を病み、精神病院に収容されるまでに弱り果ててしまったのである。
徐々に回復したイヴ・サンローランは、ディオールを去ることに。1961年、当時の恋人であったピエール・ベルジェ、マック・ロビンソンと組んだオートクチュールメゾン「イヴ・サンローラン」を立ち上げる。資金面で苦難はあったものの、アメリカの実業家マック・ロビンソンの援助によって乗り切っている。
そこから若き天才、後の「モードの帝王」となったイヴ・サンローランの快進撃が始まったのだ。
新しい女性のエレガンスを提案する中で1966年にはイブ・サンローラン リブ・ゴーシュ(Yves Saint Laurent rive gauche)をパリにオープンし、プレタポルテラインを始める。
それ以降もめまぐるしい活躍を続け、1985年にはフランスの最高勲章レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ、1993年にはデ・ドール賞(金の指抜き賞)を授与されるなど、「モードの帝王」と呼ばれるほどのデザイナーとなり、まさに20世紀を代表するデザイナーへと駆け上がったのだ。
「SAINT LAURENT PARIS」と「Yves Saint Laurent」。よく似た名前で混乱してしまいますが、実は同じ企業のブランドである。
ブランドであるYves Saint Laurentでは現在、アパレルとコスメ・香水という2大ラインを展開している。コスメ・香水ラインの名称はYves Saint Laurent Beauteと呼ばれており、「YSL」が縦に重なったおなじみのロゴが使用されている。そして現在、アパレルラインの名称がSAINT LAURENT PARISとなっており、ロゴもシンプルな横書きの綴りとなっている。
https://www.vogue.co.jp/tag/brand/saintlaurent
https://www.ysl.com/jp?gclid=Cj0KCQiAnY_jBRDdARIsAIEqpJ2t8pkfacFrqYTFRk5x9kzbLwdryNEuJ55Kaj3A9OoFXvOabwvSAbYaAhlNEALw_wcB&tp=62289